2020.12.22 繭虫工房にて



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ブログの更新がとても久しぶりです。

なかなか会えないみなさん,お元気でおすごしでしょうか。

今年は時代の変わり目のど真ん中にいるような,そんな年でした。

私はほぼ長瀞,自分の巣にいる生活でしたが

こんなにも自分の内面の見ていない部分があったかと思うほどに

いろんな心の経験をさせていただいた気がしております。

眠っていたようなものが湧き出て,ひっくり返るカエル。

脱皮のような,羽化のようなことが自分のなかでこっそりとおきたのだと思います。

やっと自分に還ってきた感じがしている2020年冬至です(o^―^o)



さて,ここからは私のちょっとしたファミリーヒストリー的な話なので

キョーミのない方読んでも面白くもないと思いますのでここでやめといてくださいね(笑)


この冬至の12月22日は私にとって自分で決めた誕生日のような日でして,

17年前の今日,私は山下繭子から霜触繭子という名前になりました。

霜触繭子17歳!!(まゆはまだ~17だから~♪)


2003年,明かり制作をはじめて3年,未熟ながらも熱い想いを胸に

明かりを仕事にしていこうと自分の中で決め,初個展を翌年に控え,

母の旧姓だったこの苗字を継ぐことにしました。

変わっている不思議な苗字でしたので作家名にもいいんじゃね,とそんなのりだったかと思いますが,

母方の祖母の籍に入るということになったので,日をどうするか真剣に考えました。

祖母は辰年,私は巳年,その年の冬至は22日が辰巳の日でした。

冬至というのは一年で一番太陽の力が弱まる,

逆に言えばこの日から一年が生まれるといえる日なのです。

この日しかない!とばちっと決め家族で役所へいったのを思い出します。

母は嫁に出すみたいでちょっと寂しい,,なんていって涙ぐんでましたね。

それで,役所から帰り,ひとつ霜触の籍入りもしたことだし仏壇拝もうとみんなで線香をあげたときに

母がはっと気が付きました。

12月22日は私のひいじいちゃんにあたる霜触三七郎さんの命日だった!と。

ちょっとこわいくらいに運命を感じた数少ない思い出です。


家族親類からの聞き伝えで

その三七郎さんというひーじーちゃんは

息子である私の祖父が15歳のときに若くして40代で亡くなってしまったのですが

今でいうところの造形屋のようなことをしていたそうで

熊谷で「笑いの面工藝社」という名前でいろんな仕事をやっていました。


銭湯の富士山の絵を描いたり,ロボットを作って新聞に載ったり

大きな仕事は,今ではお馴染みの歌舞伎のセリとよばれる舞台装置を考え出したのが三七郎さんだったと。

1940年に開催予定だった幻の東京万博の美術監督も任される予定だったとのこと,

会ったこともないひとだけど,自分をさかのぼったつながりのあるひいおじいちゃん

きっとすごくエネルギッシュで面白いひとだったんだろうなぁと思い馳せました。

祖父も絵が超絶上手くて手先が器用で家を自分で建てちゃったり切り絵をライフワークにしたりしていましたが

15歳で父親が亡くなってしまったんで,行きたかった美大にも行かれずだったといっていました。

笑いの面工藝社も一緒にやったり,継いでやりたかっただろうなと。


私は親に美大にも行かせてもらい,自分の好きなものをつくる仕事をさせてもらっています。

情熱を持ち続け,真摯に向き合って面白くやっていかなければ

志半ばで亡くなってしまったじっちゃんたちに叱られちゃうなと

この冬至,気持ちを新たに引き締めたのでした(`・ω・´)




ということで,最近の制作風景,一枚目の写真は木星と土星のグレートコンジャクションを意識してみました!

来年は,繭からちょうちょがふわり羽ばたいていくイメージで

魂こめてつくった明かりたちをおくりだしていきたいなと思っています。

やさしい月のような,あたたかなお日さまのような

みなさんのお力にちょっとでもなれるような仕事をしていきたいです。


それでは,今年もあとわずか,

みなさまもどうか自分をいたわっておすごしくださいませ。

長瀞,繭虫工房で私いつも紙はりやってますので

(ギャラリー喫茶やましたでは珈琲いれてます。どっちも同じとこです)

いつでもふらりいらしてくださいね(⌒∇⌒)